■演出ノート
もともと俳優はひとりだった。
ギリシア悲劇もはじめは俳優はひとりだった。「目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない」と言われ恐るべき記憶力を持って日本の歴史を語った稗田阿礼。没落する平家の物語を琵琶をかき鳴らし語った琵琶法師。たまたまポーランドで見た『ターミネーター』では、いい声したおじさんが男も女もひっくるめてすべての役柄をひとりで吹き替えていた。日本には落語だって漫談だってある。猿回しだって蝦蟇の油売りだって便利な台所グッズの実演販売だって手品だって腹話術だって紙芝居だって、だいたいひとりでやっている。そもそも、日本の芸能の始祖はひとり芝居なのだ。そして、さらにさらに時代をさかのぼればアフリカで誕生した人類が猿から人間に進化する過程で、不思議な体験を語りながら世界中に散らばっていき、神話を産み、神を産み、今のわたしたちにつながっていくのだが、旅をしながら物語っていたのは、きっとひとりのヒトなのだ。
今となってはお芝居といえば会話なのかもしれないが、大昔から俳優はひとりで演じ、語り、歌い、踊り、奏でていたのである。
今回、中勘助の書いた『犬』のひとり芝居を作りました。楽しんでいただけましたら幸いです。(斉木和洋)
■あらすじ
『犬』 作・中勘助
さる僧が女と出会う。女は異教徒に犯されその子を腹に宿している。僧は女の罪を清めようとするが、女の肉体に溺れ、仏の道に背き、女を自分のものにしようとする。しかし、女は自分を陵辱した男が忘れられない。意に染まない女を己のものにするために僧は恐るべき方法を取る。
劇団山の手事情社、俳優。愛知出身。
劇団山の手事情社、俳優。大阪出身。