PORT 大阪市此花区四貫島にある飲食店・商店・住居・アトリエ・事務所などの複合建物。阪神電車千鳥橋駅より徒歩2分。JR西九条駅より徒歩15分。PORT 飲食店・住居・事務所などの複合建物

てんでばらばら三人会


日時:
2020年11月29日(日)
開場13:30/開演14:00

料金:
500円

予約:
ご予約優先(定員10名)
問い合わせフォームよりご予約ください

出演:
みやけをしんいち (音楽)
山本握微 (説明)
米子匡司 (散歩)

千円にするか、無料にするか、むしろマイナスにして五百円を渡すか……入場料の設定だけで揉めに揉める、てんでばらばらの三人による発表会をこのたびPORTで開催致します(結局あいだをとって、無難な500円とさせていただきました)。
この三人にかろうじて共通点を見出そうと試みるなら、表現の道具である例えば楽器や言葉を、器や言に、そして口へと還元してから再び構成する……その時はうっかり「楽言」や「言器」になっているかもしれない……というような志向/嗜好でしょうか。そうでしょうか。どうだろう。よくわかりません。
ともあれ、よくある、順番に発表する、といういつものあれです。共通点などなくても、てんでばらばらのままお楽しみいただければ甚だ幸甚の幸い。宜しければお越しくださいませ。(文責・山本握微)

みやけをしんいち(ソプラノサックスと機械とか)

市井の人。時折ソプラノサックスとかを演奏。昨年より電化しはじめる(でも非オール電化)。今回が過去最高に電気度が高くなる予定。
遡れば2000年より大原裕ブラスバンド"Live!Laugh!"にて公の場での演奏を始める。2002年に"Live!Laugh!"の末期メンバーらと共に三田村管打団?結成。同じ頃、自主企画「合奏の会」を始める。即興演奏を中心にインスト、歌もの分け隔てなく様々な出演者に出演依頼。自身も即興演奏を中心に普通に楽曲を演奏するバンドやあまり普通に楽曲を演奏しないバンドなどで活動。今までに参加したバンドに高岡大祐主宰のtin toy muzik、原田依幸率いる大怪物團、薄花葉っぱ、FUTA9082など。共演者に関島岳郎、JOJO広重、川手直人、江崎將史、千住宗臣、川口貴大、とうめいロボ、bikemondo、丸尾丸子、ペンと書物などなど。現在活動中のバンドはmelagukan(ムラグカンと読む)、行楽猿(KOURAKUEN)、アキビンオオケストラ、音遊びの会。ソロとセッションも細々と継続中。良い意味でのへなちょこな演奏を探求している節も有り。朝起きて、夜に眠って一日。
https://twitter.com/wo_miyake_ow

山本握微

1982年生まれ。普通芸術派。劇団乾杯主宰。芸術及び諸文化を実用と流通の視点から再検査し、時折実践。
http://www.kiwamari.org/
https://twitter.com/elevator_p

開場時間中同時開催:「運動展 3×3±0」
自宅の戸に掲示してある怪文書、さざんが9枚、内容を一部入れ替え展示します。

巷間話題の「鬼滅の刃」に関する作文を、Twitterに書こうかブログに書こうかと迷っていたけれど「鬼滅の刃は何故ヒットしたのか?」に関する記事が雨後の筍如く溢れる中、何となく気恥ずかしかったので、このプロフィール欄をお借りして、こっそり書き置くことにします(今回のだしものにも特に関係しません)。尚、劇場版も放送も観ていないので、飽くまで原作の漫画に関する所感です。
本作の基本的な構造は「人類の敵 vs 人類の対抗組織」になるかと思います。鬼 vs 鬼滅隊。斯く思えば数年前、同じ様に急速にヒットした漫画「進撃の巨人(巨人 vs 兵団)」もそうだし(序盤しか知りませんが)、また同じ様に社会現象にまでなったアニメ「エヴァンゲリオン(使徒 vs NERV)」もそうなので(新劇は観たことないので知りませんが)、この基本構造は以前からみんな大好きエンターテイメントの鉄板ということになります。現在少年ジャンプで連載中の人気漫画「チェンソーマン(悪魔 vs 公安対魔特異課)」もそうです。「HUNTER×HUNTER」の場合は蟻編(キメラアント vs ハンター協会)のみが当てはまると言えるかもしれません。「DEATH NOTE(キラ vs SPK)」はどうだろう、微妙か。無論漫画だけでなく、小説では大変話題になった中華系SF「三体(三体人 vs 面壁者等)」はピタリそうですね。
一方で従来の少年漫画の王道であり雛形であった「ドラゴンボール」や「ワンピース」とは異なります。ドラゴンボールは後半、様々な魔族やら宇宙人やらが来襲する点において「人類の敵」と戦っているといえるかもしれませんが、対抗勢力である主人公たちは組織というわけではありません(あれは何でしょう。有志?)。ワンピースには海賊や海軍といったそれなりに系統化された組織が多数ありますが、それらがお互いに拮抗して(三大勢力)覇権を奪い合っているので、人類の敵や人類の対抗組織として戦っているいうわけではありません。また、鬼滅の刃との類似がよく指摘される「ジョジョの奇妙な冒険」や「聖闘士星矢」とも、この点においては異なるといえるでしょう(奇しくも両作品には主人公の背後に「財団」ありますが、いづれも後方支援に留まります)。なので、少年少女の心をわくわくどきどきと揺さぶる「王道」物語には違いないけれど、やはりこれは比較的新しく発明された構造ではないかと思います。
もう少し詳しく見ていきましょう。まずは「人類の敵」。誰彼の敵ではなく人類の敵ですから物語は必然、壮大となります。初手からフルスロットル。徐々に徐々に盛り上がる、なんて勿体振りは皆無。そりゃ面白いはずです。また人類の敵は、圧倒的に人類より強いので、所謂ライバルという関係でありません。なので、人類の敵が戯れに放ったジャブ一発で重要なキャラクターがあっさり死んだりします。そのため基本的にダークな世界観となります。ホラーですらあるかもしれません。この点は少年漫画のお約束(重要なキャラクターは死なない)とはむしろ逆で、新鮮さがあるかもしれません。
次に「人類の対抗組織」。サシでは人類の敵に到底かないませんが、人間は社会的動物、一人一人がか弱くとも、群れて組織化することでこの脅威に対抗することができます(この時点で「人間とは何か」が表現されているので面白いわけです)。しかも相手は誰彼にとっての敵ではなく人類ぜんたいの敵。ですので、全力をあげて組織され、使えるリソースは大きく、それが成り立つ過程にはワクワク感が伴います。総力戦。ただ、ここがポイントですが、人類の悲しさ、一致団結するも組織化や実際の運営にあたっては、どことなくしがらみや政治、思惑などが絡まり、驚異的な人類の敵を前にして、内輪揉めや不本意な異動、意図的な決裁書類の停滞などがあったりします(ほいで後半辺りで「人類の敵は人類か……」などと言ったりするわけです)。「鬼滅の刃」にはあまり組織的哀愁を漂わせる描写はありませんでしたが、トップの崇高な理念が、下位の隊員にまで共有できていなかった様子は見受けられます。
あと、これは必須ではありませんが「人類の対抗組織は、人類の敵の能力やテクノロジー等を一部取り込む」という傾向があります。「鬼滅の刃」でも、鬼に属する者が主人公サイドにもいます(……いたっけ? 鬼を食べて能力を得る人はいたような気がする)。これは「進撃の巨人」「エヴァンゲリオン」「チェンソーマン」「HUNTER×HUNTER」等でもそうですね。こうして時に、人類の敵と人類の境界を揺らがせることにより、世界そのものの成り立ちを問うことにもなります。
さても、この構造の最大の特徴は「物語が(比較的)長期化しにくい」点にあります。人類の敵を倒せば終わり。この単純明快さについては特に「鬼滅の刃」を巡ってはよく言われ、終盤にあたっては新展開により連載が長期化するかが注目されていました。何せ相手は人類の敵ですので、最初からラスト・ボスが誰だか比較的明瞭です。前述の通り、ドラゴンボールも途中から人類の敵が相手となりますが、その強大さを少しづつ更新する形で続々と新しく出現する展開には無理がありました(ピッコロ、マジュニア、サイヤ人、フリーザ、人造人間、魔人ブウ……)。ワンピースは拮抗勢力同士の戦いなので、目的はひとつなぎの財宝に海賊王と単純でも、何時までも何時までも楽しく、ひたすら争い戯れあうことが可能です。
従来の少年漫画は、商業的な都合により、人気が下落するまでひたすら連載が続くことが求められました。それによって作品世界そのものが歪められたりもしたものです(ドラゴンボールが作者の意図に反して終わるに終われなかった話はあまりにも有名です)。たとえ晩節を濁そうとも、それまで売れた序盤が回収されるわけではありません。それならば、とにかく続いた方がいい。物語それ自体が延命の運命を負っていること。遡れば街頭紙芝居の時代からそうでした。私は個人的に、こうして内容よりも続くことが目的化した作品を「だらしない物語」と呼んでいます。その代表格は、既に完結しましたが「静かなるドン」全108巻。これはヤクザものですが、全体的には新鮮組と鬼州組という二大勢力の拮抗が描かれることにより、いつまでも物語がだらだらと続きます。だらしないけれど、いつまでもいつまでも面白い!
(現在連載中のだらしない物語、代表は「土竜の唄」でしょうか。奇しくも、こちらもヤクザがモチーフ。ワンピースも「任侠もの」がモチーフなれば、ヤクザとは「人類の敵」と真逆に位置する、永遠に終わり得ない抗争の中にある象徴なのかもしれません。「魁!男塾」で度重なる超人的な戦いを経ても尚、終盤近所のヤクザ相手に苦戦したことが想起されます)
「人類の敵 vs 人類の対抗組織」は何故ヒットしたのか?というより、商業的な構造上、尺が短い分、短期的に大ヒットさせなければならなかった、と言えるかもしれません。「人類の敵」によって、物語は延命措置から解放されて、その生を気高く全うすることができるようになりました。令和における少年漫画は、これを一つのビジネスモデルとするかもしれません。しかし、それは物語にとっての幸せなのか、はよくわかりません。「鬼滅の刃」は十年後どうなっているのか。「ワンピース」や「ドラゴンボール」は十年後どうなっているか、というか既に現在は十年前の十年後。若い頃は、もし自分が脳死など意識不明の寝たきりになったら延命措置せずに尊厳死を、などと考えていたけれど、年を取った最近はとにもかくにも一分一秒でも生きていたい、と思うようになりました。「まだ続いてやがる」と後ろ指さされつつも、だらしなくも続いていく、物語それ自体の行く末や如何に。

米子匡司

音楽家。


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