インドネシアの西ティモールには、村から町へ出て廃品回収でお金を稼ぐ人たちがいます。彼らの暮らしに焦点を当てた民族誌映画『アナ・ボトル』を見て、制作者である人類学者の森田良成さんとともに議論します。西ティモールってどんなところ?という疑問から、「貧しさ」とは?といった切実な問いまで、映像が喚起することをめぐって考えます。
【上映作品について】
『アナ・ボトル――西ティモールの町と村で生きる』(2012年、43分)
ディレクター・撮影:森田良成
編集:森田良成・市岡康子
構成協力:市岡康子
インドネシア、西ティモールの町には、「アナ・ボトル」(空き瓶の子)と呼ばれる男たちがいる。彼らは荷車を押して町を1日歩いて、空き瓶や鉄くず、ダンボールなどの廃品を集め、それらを換金してお金を得ている。町での重労働によって得たお金を、彼らは何に使っているのか。彼らのお金の稼ぎ方、使い方から、物やお金の価値、「貧しさ」について考える。
主な上映歴
第15回ゆふいん文化・記録映画祭(第5回松川賞受賞)
第10回Worldfilm-Tartu Festival of Visual Cultureほか選出
大阪大学大学院人間科学研究科・特任研究員。文化人類学が専門。おもな論文に「貧乏―『カネがない』とはどういうことか」春日直樹編『人類学で世界をみる』(2008年)、「受け継がれた罪と責務」鏡味治也編『民族大国インドネシア』(2012年)などがある。今回上映する作品については、neoneoに紹介の記事がある(http://webneo.org/archives/10893)。
PORTにて「鶴見俊輔『限界芸術論』を読む会」を開催していた三名(中西美穂[アートマネジメント]、黛友明[民俗学]、米子匡司[音楽家・PORT管理人])の企画による、ゲストを招いてのトーク&ディスカッションを中心とした企画です。
(企画・中西美穂、黛友明、米子匡司)